「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤの信徒への手紙3:26)
2018年7月より着任しました。
「キリストはどこにいるのか。」そのような疑問を持ったことはありますか。私はキリストについて頭で考える傾向があります。いえ、考えすぎる傾向にありました。しかし、ある修道士に問われたのです、「あなたはキリストをどこに見るのか」と。それは言い換えれば、「キリストはどこにいるのか」ということです。キリストは、いったいどこにいるのでしょうか。
キリストは、私たちのただ中にいます。キリストは、私たちと共にいます。私たちは、人と相対し、交わりをもつときにそのことを垣間見るようにして経験するのです。私はあなたを通してキリストに出会い、あなたは私を通してキリストに出会います。そして、私たちはキリストにあって結び合わされるのです。キリストは、難しい専門書の中にいるわけではなく、むしろ日常の中におられます。キリストは私たち一人ひとりをご自分と結びあわされ、ご自分がそうであるように、私たちをも神の愛する、かけがえのない子どもとしてくださいます。あなたは、神の子どもです。神は、あなたを心から愛しておられます。そのようなあなたと共に、この真理を実感しながら生きることができれば幸いです。
高村敏浩
キリスト教会には、大きく三つの流れがあります。一つは、ギリシャ正教、ロシア正教に代表される東方教会(これには便宜上、コプト教会、エチオピア教会など、カルケドン公会議の定めた信仰告白に反対したグループも含めます)、一つはローマ・カトリック教会(いわゆる、旧教)、一つはプロテスタント諸教会(同じく、新教)です。このうち後者二つを、前者である東方教会に対して西方教会と呼びます。東方教会と西方教会は、言語的、地理的、神学的、政治的困難のために1054年に公に袂を別ちます。西方教会は、ローマ司教である教皇を頂点とし、またラテン語を教会の公用語とし、現在の北欧、西欧、中欧、南欧を中心に根付いていきます。
中世後期の14、15世紀ごろになると、ピラミッド型の権力構造を持ち、支配力を行使し、さらに世俗化が進む教会に対しての不満が起こり、いくつかの運動となっていきます。ザクセン地方(現ドイツ)の大学で教鞭をとっていたアウグスティヌス会修道司祭であるマルティン・ルターの運動も、そのようなものの一つでした。歴史の教科書などには、ルターが宗教改革を起こしたと表記されることが多いのですが、実際にルターの試みたことは教会内の改革、刷新であり、ルター自身には教会を離れようとの意図はありませんでした。しかし、結果として彼の運動は自身と仲間たちの破門を招き、公の意味において諸プロテスタント教会の誕生をもたらすことになりました。
1517年10月31日、ルターは「九十五箇条」として知られる諸提題を、ヴィッテンベルグの城にある教会の門扉に貼り付けたと言われています。そのため、この日は宗教改革記念日として知られています。(ドイツを中心に世界中のルーテル教会やキリスト教界はその出来事と、以来500年にわたって続いている教会刷新の試みを記念して2017年を祝いました。)また、1530年にはアウグスブルクにおいてルターと仲間たちによる信仰告白書が提出されます。ここに、ルーテル教会(ルター派教会)が成立するのです。
ルターと仲間たちは、何を信じ、告白したのでしょう。それは、宗教改革の三大原則である「聖書のみによって、信仰のみによって、恵みのみによって」という言葉に収斂されます。私たちの救いである福音は、聖書のみによってその正しさが試しまた証しされ、神の業である信仰のみによって与えられ、そしてすべては神の恵みのみによってなされるということです。それは、「救いは『キリストのみによって』」という信仰告白であると言うことができるでしょう。彼らはまた、このような福音理解と、それを顕かにする洗礼と聖餐という二つの聖礼典(サクラメント)を支持し、告白したのです。ルーテル教会は、ドイツの諸地方および北欧諸国に広まります。そして、その後数世紀の間ヨーロッパからアメリカ大陸への移民が増えるにしたがって、アメリカにも広まります。
日本へは、アメリカから1892年に南部シノッド(サウスカロライナ州を中心とする南部州のルーテル教会群)の二人の牧師が宣教師として来日して以来宣教が続いています。1900年にはフィンランドからも宣教師たちが来日しました。これらアメリカ、フィンランドの教会は、第二次世界大戦の困難にも拘らず、紆余曲折を経ながらも日本福音ルーテル教会という一つの教会として活動するようになります。戦後、アメリカを中心にさらにいくつかのルーテル教会が日本に宣教師を派遣しました。これらの教会が、戦前からの日本福音ルーテル教会に合流・合同し、1963年に教区制をとって教会の組織化を図ります。三鷹教会は、このうちの東教区で、1987年に成立しました。
日本福音ルーテル三鷹教会(以下、三鷹教会)は、その宣教のはじまりを1961年(昭和36年)に遡ります。4月、下連雀にあったヘンシェル・ヨハンナ宣教師宅にて家庭集会が開始されました。1969年には、日本福音ルーテル武蔵野教会(現在は、むさしの教会)の「三鷹集会」として位置づけられ、教会員宅での集会の期間を経て、1976年から日本ルーテル神学大学(現・ルーテル学院大学)に移動し、教室を用いての礼拝を行うようになります。大学の教員たちの協力を得て礼拝を守る中、礼拝出席者も増え、1987年4月、武蔵野教会から子どもを含め58名が移籍して、東教区内35番目の教会として設立されました。
三鷹教会は、大学との連携による東京西部広域宣教のビジョンの下に設立されました。教会独自の礼拝堂を有さず、大学チャペルで毎日曜日の礼拝(夏季はブラウンホールの教室を利用)を守っています。歴代の牧師・宣教師のリストがありますので、ご参照ください。